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「
弱さとか、悪さとか、傷を含めて
きっとそこにあるんだと思うんですけど、
きれいな答案用紙に載せられちゃうと、
消えちゃうんですよ。
人びとは、それぞれの責任で、
すごい完成度の答案用紙を
要求されてるように思い込んでる。
生活までそうしちゃってる。
うちの父親はね、
「まともな家庭なんかどこにもないんだ」って
ぼくによく言ってました。
自分の責任転嫁じゃないのかな? って、
幼い頃の自分は聞いてたんですけど、
後に、吉本隆明さんから
同じ台詞を聞きました(笑)。
そのあとにもあっちこっちで聞こえてくる。
ほんとうなんです、真実なんですよ。
まともな家庭はひとつもないっていうのはもう、
100%そうなんですよ。
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同感だし共感。
ただニュースにする時には、「100%の家庭はある」と言うことが必要なのかもしれない。
100%の家庭なんてないんだけど、例えばニュースなんかで理想的な家庭環境(最近だとブータン?)を見せてから、「ほら、いまの私たちの環境よくないよねー。納得できないよねー。」という流れで語るのは共感を得るためにはひt、ある程度仕方ないんだろう。
(蛇足だけど、いわゆる表層的なハウツーのビジネス書はまえがきの部分に、理想と現実をギャップの具体例を、その時々の時代に合わせた内容で描いて、本文はどれも大して変わらないと思ってるので基本的にほとんど読まない)
というのも、共感を得る物語は、主人公に“何かが欠落している状態”から始まるから。何かが欠落した主人公が、あるきっかけで“別の場所”へ行き、そこで与えられたり助けられたりしながら、自分の欠点を補い(量的回復、もしくは質的回復に)、元の世界に戻ってくる。
大塚英志さんも言っているように、“行って帰る”が基本的な物語の構造なので、ニュース記事の流れを分解すれば、
欠落している状態→理想と現実のギャップで示す
“別の場所”での指針→ニュース記事での提案
回復&帰還→読者次第
とでもなるのかな。