20100326

「鍋をグツグツコトコト煮込んでやりたくなる雑誌」に



お友達の写真が、『ku:nel 』(マガジンハウス発行) 2010年3月20日発売号「料理上手の台所」
の表紙と、中身の「料理上手の台所・パリ編」にて8ページほど掲載されています。




http://magazineworld.jp/kunel/


テーマとか被写体の方々の人柄のせいかもしれませんが、
写真を撮った友達自身の「ちゃんと生活している人だなぁ」、
という雰囲気が伝わってくる気もしています。
勝手な想像(妄想)ですが。笑

これまで存在は知っていたものの読んだことがなかった雑誌ですが、
休日の昼下がりに夕食に向けて、
鍋をグツグツコトコト煮込んでやりたくなる雑誌です。

本屋さんやコンビニでぜひ手にとってみてください。

20100323

校長先生のお話

最近Twitterをわりと日常的に使うようになったり、
今日、NHKの特番「激震 マスメディア ~テレビ・新聞の未来~」を観たこともあって、
ざっくりというと「情報」について思いを巡らす時間が増えた。

「情報」についてはたくさんの切り口があると思うんだけど、
ここで触れてみたいのは、
「情報の発信者と受信者の間に人が入ること」について。

例えば今日のNHKの特番でも、合間合間に司会者の方が、
「ではTwitterで寄せられている意見を一部取り上げてみましょう」と言って、
いくつか読んで紹介していたけれど、リアルタイムで特番のハッシュタグを追っていた自分としては、
「その意見より、こっちの意見の方が的確でしょ?絶対放送できないけど笑」みたいな具合で、
要するにその仲介は必要ないものだった(NHKのスタンスを知る上で、どのコメントを取り上げたかは良い手がかりになるかもしれないし、番組として成立させるために必要だったとは思うけど)。

でも、情報の仲介者が必ずしも必要じゃないとは限らない。
というのは、仲介者がいることで、人は「まじめになる」から。

思い出したのは、小学3年生ぐらいの頃の朝礼の自分。
朝礼での力の抜きどころ(ふざけどころ)も分かってきて、一番ふざけたくなるのが、校長先生の話。
内容がつまらないのは毎度のことだけど、そこですぐに遊びだすのが子供のお茶目なところ。
校長先生の「え~」の回数を数えたり、「例えば~」の回数を数えたり、内容とは関係のない表層をひたすらすくい続けていた。
この感覚でいまだに残ってる気がすんだよな。
眼科の待合室で国会中継観てても、内容よりも瑣末なことばっか気になるし。TVで垂れ流しの情報みてるより、ウェブだったり、新聞だったりで読んでいるときのほうが、ちゃんと内容を理解しようとしている気がする。

とまぁぐだぐだ書きましたが、ほおっておくとふざけだしてしまうので、
しっかりした大人になるまでは情報を仲介してくれて大丈夫ですよ、ってことです。
その仲介が偏ってるかどうかは、他のメディアと比較して検討しますから。

それにしても校長先生の話、小・中・高でひとつも覚えてない。

お天気の日の猫みたいな

連休の2日目に青山ABCで衝動買い。

ただいま おかえりなさい
戌井昭人
ヴィレッジブックス
売り上げランキング: 180743


決め手は、いしいしんじが帯に書いている「合法的に頭のなかに青空が広がります」という言葉。
グリム童話のように何かふかーい物語な気もするけれど、それは考えすぎな気もして、かといって何も中身がないかとういうと、ふとしたときに「あ、あれこうゆうことだったのかな」なんて思い返させられてしまったり。

まるで、お天気な日の猫みたいな本です。

これまたいしいしんじとは反対側の帯で川上未映子が、
「眠るとき、目覚めているときに、いつだって、この本の世界に戻ってゆけるようにって、枕もとに置いていますだいすきです。」と書いているように、すっと風が通るような気持ちの良い本。

ただ眠るときは良いにしても、目覚めたときに読んだら、きっと二度寝してしまったり、出かけるのが面倒になってぬくぬくしてしまうから、眠りにおちる直前に、さっとできるだけ布団から遠くのほうへ追いやっておくことをおすすめします。

イラストもりもりだし、こどもでも楽しめるかも。