20120219

ジャクソン・ポロック展@東京国立近代美術館



ジャクソン・ポロック展@東京国立近代美術館へ。

まず名前がかっこいい。ポロック。
最近作品集をこつこつ集めているフォトグラファーNick Knight(ニック・ナイト)といい、名前がかっこいい作家に惹かれてしまうのは、ロゴ好きアイコン好きな日本人の民族性故なのか。それともそれとも、日本の名字ランキング9位にランクインしている小林という平凡な名字故なのか。たぶん両方。

たしか、小学生のときに「せめて下の名前くらいは特徴のあるものにしたい」と思って、名前を変える手続きを調べた記憶がある。今思えば親に申し訳ないし、下の名前で呼んでくれる人も多いので気に入ってる。

ポロックは、1940年代後半からニューヨークを拠点に活躍した抽象表現主義の画家。んー、40年代後半“から”と言ってしまうと、本展覧会の構成上大きなポイントにもなっている、あまりにも短すぎるポロックの黄金期をうまく表現できなくなってしまう。

展覧会の構成に従えば、4つの時期に分けられるようで。

初期;1930-1941年(アルバート・ピンカム・ライダー、あるいはネイティヴ・アメリカンの芸術やメキシコ壁画、そしてピカソのキュビスムの影響を受ける

形成期;1942-1946年(ピカソ以外に、ミロやシュルレアリスム、マティスなど、ヨーロッパのモダンアートを積極的に吸収し始める

成熟期;1947-1950年(画面を同じようなパターンで埋め尽くす「オールオーヴァー」な構成と、床に広げたキャンバスの上に流動性の塗料を流し込む「ポーリング」の技法を融合させて、自己の代表的な様式を確立

後期・晩期;1951-1956年(成熟期の網の目のような抽象的構成は捨てられ、初期や形成期に描いていたような具象的なイメージが、画面に再び現れる。 1954年からは作品数が顕著に落ち込む

時系列に作品をみたけれど、雰囲気としては、
初期→なんか悶々とする
形成期→なんか自信がある雰囲気
成熟期→スタイルを確立した感
後期・晩期→成功に縛られるのが嫌だけど、どうしたら次の表現に迎えるのか葛藤
といった印象だった。

成熟期から後期・晩期に変わるところがつらい。

たしか形成期の部屋にあったパネルに、ポロックは新しい表現を模索していて、ピカソの画集を見るたびに「クソ!さきにやられてる!」と言って画集を床に投げつけていたというエピソードが出ていた。きっとポロックは、自分と他人の比較だけではなくて、つねに今の自分が過去の自分を越えていなければならないような使命感を背負っていたのだと思う。

成熟期から晩期にかけて、評価を得ていたオールーオーヴァーとポーリングのスタイルを捨てようとして新しい表現を模索。しかし、過去の自分を越えられなかった。晩期の作品に暗い色彩が多かったこともあって、ポロックの想いを想像すると、晩期の展示室を歩いているだけで、胸が苦しかった。

結局ポロックは、飲酒運転で事故を起こし、この世を去る。享年44歳。
ピカソとアンディ・ウォーホルをつなぐ偉大な芸術家と評されるようになる。美術史的な評価はともかく、初期から晩期までの作品群を“続けて”観た時間は、振り返るほどに濃くなる不思議な時間だった。

20120209

Nick Knight & Lilian Bassman

好きなファッション・フォトグラファーは、この2人。
写真集を見ていると、ページを捲るたびに感動してしまう。


写真集が出たら値段を気にせず即購入するくらい大好きなフォトグラファー。
写真だけでなくて、SHOWstudioというサイトを立ち上げてウェブでも活躍しているのは、みなさんご存知の通り。

こちらは、ぼくが生まれた年の作品。
Yohji Yamamoto catelogue, 1986

それから一部作品を並べてみると。。。







んで、Lady Gaga“Born This Way”のディレクションは、ニック・ナイトによるもの。
6:45あたりからの逆光は昇天ものの美しさ。


彼の作品はどれも好きだけど、固いはずの境界線がとけあっていくようなイメージが多い気がする。

とか言いつつ、最近こちらの写真集も手に入れました。

  Nick Knight “Flora”


ロンドン自然史博物館の植物園で作られた何万点もの押し花コレクションの中から、ニック・ナイトがチョイスして撮影したもの。葉脈!美しい!フラワーひゃっほーな感じです。


ここまで書いてもう眠たくなってきたけれど、やっぱり好きなのでもう1人。

たまたま本屋でWomenという写真集を見つけて知ったのですが、歴史をさかのぼればファションフォトの先駆けとも言える人。初期の特徴であるソフトフォーカスの写真は、暗室作業の技術追求の結果生まれたものだそう。

白と黒でここまで深い表情が生まれるなんて。






ニック・ナイトと、リリアン・バスマン。
この2人の間には、30年くらいの差があるから、この2人をつなぐたくさんの写真家たちの作品をたっぷり味わっていきたい。

20120130

「あの頃ペニーレインと」




「あの頃ペニーレインと」を観て知った曲。Elton John“Tiny Dancer”。


ラッセルがメンバーと喧嘩した後にバスに戻り、なんとなーく気まずい雰囲気のなかエルトン・ジョンのこの曲がかかる。このシーンを観たいがために、時折見直したくなってしまうくらい好きなシーン。

ラッセルの座る位置がまたニクい。一番前の席。自分が原因で雰囲気が悪くなっている時に、みんなの顔が見えない一番前の席って怖い。「みんな怒ってるかな。。。まぁ怒ってるよな。でもなんか謝るのも癪だし」みたいな。目に少し涙をうかべて、じっと前のほうを見つめるしかない。誰もいない、前の方を。

Blue jean baby,
L. A. lady, seamstress for the band.
Pretty eyed, pirate smile, you’ll marry a music man.
Ballerina. You must have seen her, dancing in the sand.
And now she’s in me, always with me, Tiny Dancer in my hand.

少しずつみんなが口ずさみ、みんなで熱唱。もちろんラッセルも笑顔で。

いいわーーーこのシーンいいわーーー


キャメロン・クロウ監督の音楽に対する愛が隅々までストレートに感じられる映画。「男は15歳から成長しない」っていう説もあるけど、この映画を思い出すと、そうかもしれないなってニンマリしてしまう。

20120110

いつも言葉が先にある




やっぱり一人がよろしい雑草


やっぱり一人じゃさみしい雑草

言わずとしれたゼクシィのCM。内田裕也が逮捕されるというアクシデントも表現に昇華するしたのは、ハプニングを愛する箭内道彦さんの真骨頂といったところ。

種田山頭火の「やつぱり一人がよろしい雑草 やつぱり一人がよろしい枯草」がもとになっていて、最後の“枯草”の部分を変えるだけで、ずいぶん印象が変わる。ただ、樹木希林が一人でぽつんと座っているビジュアルに合わせるのであれば、“雑草”でそろえるCMバージョンのほうがしっくりくる。ぼくが言うことでもないですが。。。

さて、このCMを文章に残しておきたくなったのは、ナレーションの「二人は少しずつ夫婦になっていく」に、なるほどと思うところがあったから。

何か新しい環境に踏み出す時には、いつも言葉が先にある。夫婦、夫、妻、成人、大人—。いつも言葉が先で、それに少しずつ体と頭がついていき、成長する。理想と現実の差に悩む。そしてまた、成長する。

2ヶ月ちょっと前に甥っ子が生まれ、ぼくは伯父さんになり、姉はママになった。伯父さんの役割は、甥っ子を溺愛することと、かっこいい大人になることだから、とくにプレッシャーもないのだけれど、姉はちゃんと育てていけるのかどうか不安もあったようだった。

一日中、泣いて、おっぱい飲んで、おしっことうんちをして眠る赤ちゃんを前に、1対1で向かい合ったら、それは不安もたくさん出てくると思う(芸能人で、「子育て超楽しい!」って言っているのをテレビで見かけるけれど、本当に尊敬する。それが本当でも嘘でも。)


赤ちゃんの2ヶ月目は、ママの2ヶ月目でもある。

たまに遊びに行って、2人が変わって行くのを見守りたいと思う。もちろん、2ヶ月目のパパとも、これまで以上に仲良くしたい。

そして、伯父さんとしての2ヶ月は、今のところこれまでと何も変わらずに過ぎている。

20120109

ジェフ・ライアン著『ニンテンドー・イン・アメリカ』



ジェフ・ライアン著『ニンテンドー・イン・アメリカ』読了。
アメリカ人ジャーナリストの視点で、日本を代表する企業・任天堂を描いたもの。






任天堂に関する本というと、枯れた技術の水平思考を軸に「人物」や「ゲームタイトル」を語る切り口が多い印象があって、読後感は「あぁ、自分もこんな発想をできるようになったらいいな」という悔しさと啓発。文章を読むことでのんびりできた以外は、とくに目次に目を通す以上のものは得られなかった。

で、本書。
年末に成毛眞さんが猛烈におすすめしているのを見て、読んでみることに。
(成毛さんがおすすめしている本で、実際読んでみたものはほぼ全部面白かった)

話は会話のない経済小説のような形で、その時々の市場環境や山内、横井、宮本、荒川のポジションや性格の描写を交えながら、話がぐいぐい進む。単行本で336ページあったが、3度のメシなどで読書が中断すると、食事中も次はどうなるんだろうとワクワクする気持ちがした。ちょうど、スーパーマリオをセーブしてご飯を食べていた小学生の頃のように。

枯れた技術の水平思考を軸にする任天堂本と本書が異なるのは、きわめて主観になるけれど、読んでいて、“ワクワク、ドキドキする”という点につきる。小説を読んだ時の感覚に近い。

同じビジネス書でもコトラーのマーケティング論を読んでいる時には、「このアイデアを今の仕事に当てはめると、こんなことができそうだな」という風に、未来に対して思考が広がっていく。しかし、本書を読んでいると、初めて任天堂の商品に触れたときの気持ちが、ふわっと蘇った。先に述べたような未来へ広がっていくというよりは、自分の過去の思い出が引き出されて行く。

我が家はそれほど裕福ではなかったから、スーパーファミコンはお願いしまくってやっと買ってもらえた 。初めて箱を開けた時の、発泡スチロールの箱の質感が今でも忘れられない。というか、こんな質感なんてこの本を読まなければ、ずっと思い出すこともなかったかもしれない。

初めて歯医者で歯を抜いてもらった日、痛くて泣きじゃくっていたけれど、特別に親が1日の制限時間を越えて、ゲームをするのを許してくれたこと。

どうやってクリアするかで友達と喧嘩して、絶交したこと。

新しいソフトが欲しくて、古いソフトを売ったけど、足しにもならなかったこと。

とにかく10年以上も思い出さなかったことが、次々と鮮明に蘇ってきた。

そして、中学、高校、大学と全くゲームをしない年月を過ごして、この本を読み終えた今思うこと。

もう自分は今あるものを享受するだけの時間を過ごしてはいけないんじゃないか。
子供たちに、というより社会の人々に対して、どんな一瞬でもいいから心に残るようなものを作って届けて行かなければならないと、正義とは全く違う使命感が残った。

そんな気持ちにさせてくれた本。おすすめです。

20120104

ユーモア



ざっくりした話、何かを伝える時には“ユーモア”が大切だと思います。

最近読んでいた本に、元『広告批評』の天野祐吉さんがユーモアについて的確に述べていた箇所があったので記録まで。

「おれもバカだけど、あんたもバカだなあ」っていうのが、ユーモアの基本だし、人間のコミュニケーションの基本だと思うんですね。
「おれは利口だけど、あんたはバカだな」じゃ見下ろしてるし、「おれはバカだけど、あんたは利口だな」じゃお世辞です(笑)。
「おれもバカだけど、あんたもバカだなあ」っていうのがいちばん大切な感覚で、それをお互いに共有できたときは自然と笑っちゃいますよね。

20120103

表現をして生きていくということは—




"表現をして生きていくということは、
きみを大好きなひとが横を走ってくれている
ということであると同時に
きみを大嫌いだという人も、
いっしょについてくることなんだ。
そっちを見ちゃだめだよ。ぜったいに"

— 糸井重里

20120102

あけましておめでとうございます



あけましておめでとうございます。

今年も担当するクライアントを最高に楽しいものが生まれる場所に出来るよう、気持ちを込めてやっていきます。

Hitch your wagon to the star.の気持ちを忘れず、星につないだ綱を手繰り寄せながら。

一緒にお仕事をしてくださる方々への感謝を胸に、
歩幅を狭めたり給水したりしながら、
自分で作った山を乗り越えられるように走っていきます。

ひとりでも多くの人の気持ちを動かせますように。

Nike Own Tomorrow





本年もよろしくお願いします。