「ヴェネツィアに住む人々は、独特な人格に必然的に変わらざるを得なかったであろう。ヴェベツィアが、他のどこの都とも比較しようのない都であるということに似て」(ゲーテ)
今回の出張はミラノが中心で、ヴェネツィアは1日半の滞在。
ヴェネツィアの街に関する知識は、塩野七生の『海の都の物語』を少し読んだときに覚えたものぐらいしかなく、大学時代に覚えたヴェネツィア派の画家が画風も、ヴェネツィア派の筆のタッチよりも遥かに軽くしか頭に残っていなかった。
今いちどwikipediaで「ヴェネツィア」について調べてみると、
こんな風に書かれている。
ヴェネツィア(/veˈnɛʦja/(IPA)、イタリア語:Comune di Venezia)は、イタリアの北東部に位置するコムーネ。ヴェネト州の州都、ヴェネツィア県の県庁所在地である。
中世にはヴェネツィア共和国の首都として盛えた都市で、「アドリア海の女王」「水の都」「アドリア海の真珠」などの別名をもつ。
英語では「Venice」と呼ばれ、これに由来して日本語でもヴェニス、ベニスと呼ばれることもある。
そうだそうだ、フィレンツェは「花の都」と呼ばれ、
ヴェネツィアは「水の都」と呼ばれているのだった。
泊まったホテルは、都の中央を通る大運河「カナル・グランデ(Canal Grande)」沿いにあって(冒頭の写真はホテルの部屋から撮ったもの)、夜部屋にもどったとき、それから朝起きたときに窓から外を見てみると、「街全体が水の上にぷかりと浮かんでいる」と形容するのが、一番ふさわしいように思えた。
それこそ、「家がお菓子でできていたら良かったのに」というような勢いで、「道が水でできている」のだ。
しかし、『地球の歩き方』でヴェネツィアの歴史をかいつまんで勉強してみると、「水の上に浮かんでゴンドラがぷかぷかと行き交う素敵な街」なんていう表現は、実際のヴェネツィアにまったく合わないことが分かる。
これについては塩野七生が著書のタイトルをつけるにあたり、
『水の都の物語』ではなく、『海の都の物語』にした理由について述べているが、ぼくがヴェネツィアの歴史を頭の片隅に放り投げてから、街を歩いて感じたのは、この感じである。
水という文字が与える印象は、静的で、動くといっても、いちように同じ方向に静かに流れていくという感じをもってしまう。しかし、ヴェネツィア共和国の歴史は、それとはまったくちがって、複雑で多様で、おそろしいくらいの動きに満ちていたのだ。(中略)私は、ただ単に水の上に町をつくった人々を書くのではなく、海に出ていくことによって生きた人々を書こうとしている。
5世紀、フン族に追われて本土から潟(ラグーナ)に逃げ込んだウェネティ人は、
「魚しかない場所」を「アドリア海の女王」と称される場所への変えた。
周りには海しかない場所で生き抜くために、
彼らは何を考え行動したのだろうか。
それからカーニバルの仮面の由来も気になる。
まぁ焦ることはない。
塩野七生の本でも読んでみよう。
海の都の物語〈1〉―ヴェネツィア共和国の一千年 (新潮文庫)
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塩野 七生
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