20111230

JRA CM




なんてかっこいいCMなんだろう。

ヴィジュアル、音、コピーの切れが半端ない。




皐月賞=ミホノブルボン
天皇賞(春)=メジロマックイーン 0:30 〜
日本ダービー=トウカイテイオー 1:00 〜
安田記念=タイキシャトル 1:30 〜
宝塚記念=サイレンススズカ 2:01 〜
菊花賞=ナリタブライアン 2:31 〜
天皇賞(秋)=スペシャルウィーク 3:01 〜
ジャパンカップ=エルコンドルパサー 3:32 〜
有馬記念=オグリキャップ4:02 〜。


競走馬は名前の通り、勝つことが宿命だけど(なんか「受験生」に似てる)、
こうゆう競走馬の強さもあるわけで。
上の動画に出てくる馬たちは僕たちにとってヒーローだけど、
この馬には自分の子どもを応援しているような気持ちになる。

「なかなか勝てない馬がいる」


馬が生まれてから引退するまでの、人との関わりを描いたシリーズ。
一青窈というのがちょうど良い気がします。






20111207

100%に出会えるのか


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弱さとか、悪さとか、傷を含めて
きっとそこにあるんだと思うんですけど、
きれいな答案用紙に載せられちゃうと、
消えちゃうんですよ。
人びとは、それぞれの責任で、
すごい完成度の答案用紙を
要求されてるように思い込んでる。
生活までそうしちゃってる。

うちの父親はね、
「まともな家庭なんかどこにもないんだ」って
ぼくによく言ってました。
自分の責任転嫁じゃないのかな? って、
幼い頃の自分は聞いてたんですけど、
後に、吉本隆明さんから
同じ台詞を聞きました(笑)。 

そのあとにもあっちこっちで聞こえてくる。
ほんとうなんです、真実なんですよ。
まともな家庭はひとつもないっていうのはもう、
100%そうなんですよ。

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同感だし共感。
ただニュースにする時には、「100%の家庭はある」と言うことが必要なのかもしれない。

100%の家庭なんてないんだけど、例えばニュースなんかで理想的な家庭環境(最近だとブータン?)を見せてから、「ほら、いまの私たちの環境よくないよねー。納得できないよねー。」という流れで語るのは共感を得るためにはひt、ある程度仕方ないんだろう。

(蛇足だけど、いわゆる表層的なハウツーのビジネス書はまえがきの部分に、理想と現実をギャップの具体例を、その時々の時代に合わせた内容で描いて、本文はどれも大して変わらないと思ってるので基本的にほとんど読まない)

というのも、共感を得る物語は、主人公に“何かが欠落している状態”から始まるから。何かが欠落した主人公が、あるきっかけで“別の場所”へ行き、そこで与えられたり助けられたりしながら、自分の欠点を補い(量的回復、もしくは質的回復に)、元の世界に戻ってくる。

大塚英志さんも言っているように、“行って帰る”が基本的な物語の構造なので、ニュース記事の流れを分解すれば、

欠落している状態→理想と現実のギャップで示す
“別の場所”での指針→ニュース記事での提案
回復&帰還→読者次第

とでもなるのかな。

とはいえ、100%の家庭を追い続けるのはどうかと思うし、言いたい結論を出すために描かれた架空の理想のようで気持ち悪いし、100%のものに出会える可能性なんて限りなくゼロに近いんだけど、村上春樹なら四月のある晴れた朝に100%の女の子に出会えるのかもしれない

20111201

デザイニング・インターフェース


『デザイニング・インターフェース パターンによる実践的インタラクションデザイン』を読み直していて、ECサイトでインターフェースがいかに大切かを改めて感じた。

お客さんが見たページに載っている商品に魅力がなかったとしても、インターフェースがしっかり設計されていれば、サイトからの離脱率はだいぶ良くなるわけだし。

以下、今足りていないと思った箇所のキーワードをメモ。

・安全な探検
・途中での方針変更
・空間的な記憶
・他者のアドバイス

20110917

しあわせな価格設定


職業柄、ふだんから消費者と生産者を行ったり来たりしているわけだけれど、今日改めてまとめてみたのは、「価格設定」の話。
考えるきっかけになったのは、かの有名なドラッカーの以下の文。


価格設定の唯一健全な方法は
顧客の望む価格に合わせて製品を設計することである。
 欧米のほとんどの企業が、コストを積み上げ、それに利益幅を上乗せして価格を設定する。そして、製品を市場に投入するや価格の引き下げを余儀なくされ、膨大な費用をかけて製品の設計を改める。価格設定を誤ったばかりに、優れた製品を捨てざるをえなくなったケースもある。なぜそういうことになるのか。コストを回収し、利益を出さなければならなかった、が彼らの答えである。

 価格設定の唯一健全な方法は、市場が支払ってくれる価格からスタートし、その価格に合わせて製品を設計することである。価格を出発点としてコストを削り込んでいくことは、当初かなりの苦労を要する。だが、スタートを誤り、何年も損失を続けるよりはいい。  価格主導のコスト設定は、一〇〇の歴史をもつアメリカ産の考えである。二〇世紀のはじめ、GEはこの考えによって世界の発電機市場を制覇した。発電所が支払ってくれる価格でタービンとトランスを設計した。


(『未来への決断』、eラーニング教材『ビジネスにおける五つの過ち』)

そう、コストから価格を設定するのではなく、最終的に消費者が払ってくれる価格をもとに商品を設計する。
これがドラッカーが健全な価格設定と言うものである。

さて、このドラッカーの見解についての是非を問う前に、価格設定には他にどんな方法があるのかまとめてみる。

(1)コスト基準型プライシング

・コスト・プラス法:単位費用に一定水準の利益を加算し、製販価格を設定するものです。
・目標利益法(損益分岐点法):達成したい目標販売数量を決め、その時の総費用(変動費+固定費)を算定します。つぎに、総費用に目標とする利益率を掛け、総費用に加算します。これを目標販売数量で除して、単位当りの価格を算出。
【ポイント】利益やコストを自社中心に計算している。自社都合の優先。

(2)競争基準型プライシング

・市場価格追随法:現在の市場価格を重視し、その価格帯の中で大幅に上下しない価格を設定します。自社の商品が差別化されている場合は、この幅の中で高めの価格設定も可能。
・プライス・リーダー追随法:業界を先導して価格を上下するシェアの高いリーダー企業がある場合に、このリーダー企業の価格に従い価格設定する方法。
・慣習価格法:業界による伝統的価格帯がある場合に、それに従って価格設定する方法。業界の慣習価格が支配的で、消費者にも定着している場合、低価格設定しても販売数量が伸びない傾向があるため、むしろ高価格化に向け、品質向上などを通じ商品のイメージを高めるようにするなど、中長期の取り組みを検討。
【ポイント】外部基準の優先

(3)マーケティング戦略基準型プライシング

戦略的に最適価格を確定し、そこから適正マージンを確保すべくコストダウンを図るという発想で行う価格設定。
・価格差別化:お客様の支払意思額に従った価格設定を原則にします。この支払意思額はお客様によって異なるため、同一商品・サービスでも複数の価格設定を行うことが可能。航空各社の予約を入れる時期による多様な航空運賃体系やパソコンソフトの学生や教員へのアカデミックパック提供などがその例。顧客を、商品・サービスへの反応によって、消費者個人を選別する価格差別化の手法。
・プレミアム・プライシング:同じカテゴリーの商品で、2種類以上の複数価格帯を準備し、価格のプレステージ機能を維持する方法。価格敏感な層には低価格で、価格に敏感でない層や品質を重視する層には高価格での販売を狙う。高品質のものがプレミアムを獲得するためには当然ながら品質の保証が必要。特に、バッグや服飾、アクセサリーなどのいわゆるブランド商品では、消費者側が「価格が高いから良い商品なんだ」と強く思い込んでしまう心理をうまく利用した価格設定の例で、名声価格法(または威光価格法)とも呼ばれる。

※下記リンク先を参照
http://www.jmrlsi.co.jp/mdb/faq/ans04-01.html

例えばバッグで考えてみれば、競争基準型プライシングは、相当大きな規模にならないとできないと思う。むしろ小さな規模のブランドが競争基準型プライシングに則って開発などを進めたら疲弊するだけかも。ただ、バッグも型によっては慣習価格法なら効果があると思う。

で。

僕としては、コストプライス法とプレミアム・プライシングをうまいこと掛け合わせられないかな、と。「威光価格法」と言われると、すげーーーーーイラッとするけど、それで商売が成り立っているのであれば、それはそれでそのブランドに価値を感じているお客さんがいるということなのだから、いいんだろう(嘘ついていたら最低だけどね)。

こうゆう価格設定の問題と、広告クリエイティブは絡んでいくべきだと思っていて、その両方が合わさった時にヒットが出るんだと思う。

20110821

ある程度の分量の文章を短くする時



作家・平野啓一郎さんのツイートで、
文章書くときに
とっても参考になるというか、
言われてみればそんな気がすると感じるツイートがあったら、
ブログに残しておこうと思う。

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ある程度の分量の文章を短くする時、
全体のバランスを維持したまま、
まんべんなく削っていくと、
必ず痩せた文章になる。

重要な個所は多少増やすくらいにして、
その分、要らない部分を思いきって削ると、
メリハリがついて、
文章の肌艶が失われない。

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“文章の肌艶”って色っぽいなぁ

評論よりも三流料理のほうが意味がある





「作品は、私たちが論じなければただのモノです」

ちょっと言い回しは違うかもしれないけれど、
西洋美術史(主にゴシック)の教授がこう言ってたのをたまに思い出す。
ほんとたまーにだけどね。

(ちなみに、大学で教授から聞いた印象的な言葉ナンバー1は、
「君たちはこれから独立した知的主体として〜」という美学教授のお言葉)

初めてこの言葉を聞いたときは
しっくりこなくて、
「へぇー、芸術学科ってなにやってんの?」状態だったわけで。

そうやって筆が進まず、
レポートも億劫で将来どうしようかなとか
考えていた学生時代だったわけで。

いまだにモヤっとするところではあるんだけど、
そんな時に立ち返る言葉がこれ。

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「辛口な評論は書くのも読むのも楽しいし、商売になる。
だが、評論家には苦々しい真実がつきまとう。
たとえば評論家にこき下ろされ、
三流品と呼ばれたとしても料理自体のほうが
評論より意味があるのだ。」
(イーゴ『レミーのおいしい』)

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いわゆるファイン・アートではなくて料理だから、
余計にこのセリフがしっくりくる。

だからといって辛辣な評論が一概に悪いわけではなくて、
手を動かして作品を作る人と、
その作品について文章を書く人が
お互いに成長しあえる関係になって、
その過程で多くの人にその作品や作者のことを
知ってもらって応援してもらえたらいいなと
思った次第です。

20110814

灯籠流し@浅草





浅草の灯籠流し。隅田川の両岸から灯籠を流していたのだけれど、対岸から流れている灯籠のほうがライティングに邪魔されていなくて、きれいに見えたなぁ。川の上を灯りが漂っているような。

そういえば灯籠流しってどんな歴史があるんだろうと思って調べてみたら、wikipediaの「世界の主な灯籠流し」の項目に、なんとインドのプージャが記されているではないですか。
これですね↓




たしか2005年くらいにインドのバナーラシで撮影した写真。

wikiの説明によれば、「ワーラーナシー(バラナシ)など河岸の聖地ではPuja(プージャー、サンスクリット語の供養より)という灯篭流しが毎晩行われる。木の葉や花で作った小船に、ろうそく、花を入れてガンジス川に流す。」とのことです。

バラーナシに到着した初日はわいわいして楽しかったんだけど、日常の一風景と化してしまってからは、夜遅くまで楽器がんがん鳴らしながら灯籠流しているものだから、やかましくて眠れなかったなぁ。


灯籠で言うと、もはや流れてないけど、タイのコンファイはみたいなぁ。
Loy Krathong ( Yi Peng ) Festival lanterns called "khom fai"



20110813

ジブリ系キャッチコピー



ジブリ系のキャッチコピーをまとめてみた。

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■コクリコ坂から

上を向いて歩こう。


■耳をすませば

好きなひとが、できました。


■おもひでぽろぽろ

私はワタシと旅にでる。


■となりのトトロ

このへんないきものは まだ日本にいるのです。たぶん。


■ハウルの動く城

ふたりが暮らした。


■もののけ姫

生きろ。


■火垂るの墓

4歳と14歳で生きようと思った。


■紅の豚

カッコイイとは、こういうことさ。


■千と千尋の神隠し

トンネルのむこうは、不思議の町でした。


■平成狸合戦ぽんぽこ

タヌキだってがんばってるんだよォ


■魔女の宅急便

おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。


■崖の上のポニョ

生まれてきてよかった。


■ゲド戦記

見えぬものこそ。


■借りぐらしのアリエッティ

人間に見られてはいけない。


■猫の恩返し

猫になっても、いいんじゃないッ?


■天空の城ラピュタ

ある日、少女が空から降ってきた・・・


■風の谷のナウシカ

少女の愛が奇跡を呼んだ


■おもひでぽろぽろ

私はワタシと旅に出る


■ホーホケキョ となりの山田くん

家内安全は、世界の願い。

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これはキャッチコピーだけの話ではないですが、これまでネットでのプロモーションを避けてきたジブリ。『コクリコ坂から』ではニコ動やKDDIとタイアップしてプロモーションもしているようなので、どういう展開になるか楽しみですね。

それにしても糸井重里さんのキャッチコピーの王道感。。。
ひらがなが多いからかもしれないけれど、すっと入ってくるんだよなぁ。

20110812

キャッチコピー



コピーライティングにかかわる者として、好きなコピーくらいすらっと言えるほうがいいかなと思い立ち、まとめてみることに。

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バザールでござーる


ダメ。ゼッタイ。


Yonda?


NO MUSIC, NO LIFE.


「おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。」


おしりだって、洗ってほしい。


目の付けどころがシャープでしょ。

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・・・出てきそうですらっと出てこない。勉強不足です。

愛するのも怒るのも同じ距離




ダチョウ倶楽部のコントで、喧嘩腰で2人が睨み合いながら近づき、キスをするというものがある(YouTubeで動画見つからなかった)。なんとなく面白いなぁと思っていたのだけど、なんで面白いのかわからなかったから、人類学の視点で考察してみた。

「Personal Space(パーソナルスペース)」という心理学用語がある。人類学者エドワード・ホールによると距離は以下の4つに分類できるそう。
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1・密接距離(intimate distance) :0cm~45cm・身体に容易に触れることが出来る距離
・家族、恋人など、ごく親しい人がこの距離にいることは許されるが、それ以外の人がこの距離に近づくと不快感を伴う

2・固体距離(personal distance) :45cm~120cm
・二人が共に手を伸ばせば相手に届く距離
・友人同士の個人的な会話では、この程度の距離がとられる

3・社会距離(social distance) :120cm~350cm
・身体に触れることは出来ない距離
・あらたまった場や業務上上司と接するときにとられる距離

4・公衆距離(public distance) :350cm以上
・講演会や公式な場での対面のときにとられる距離
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一番近い距離にあるのが、「最も親しい2人」か「負の感情を持つ2人」。ダチョウ倶楽部の喧嘩キスコントは、一瞬でこの「マイナスな関係」が「プラスの関係」になるのがおもしろいのかなぁ。

それにしても、「どうぞどうぞ」といい、ダチョウ倶楽部は人を巻き込むコントが多いですね。