20110821
評論よりも三流料理のほうが意味がある
「作品は、私たちが論じなければただのモノです」
ちょっと言い回しは違うかもしれないけれど、
西洋美術史(主にゴシック)の教授がこう言ってたのをたまに思い出す。
ほんとたまーにだけどね。
(ちなみに、大学で教授から聞いた印象的な言葉ナンバー1は、
「君たちはこれから独立した知的主体として〜」という美学教授のお言葉)
初めてこの言葉を聞いたときは
しっくりこなくて、
「へぇー、芸術学科ってなにやってんの?」状態だったわけで。
そうやって筆が進まず、
レポートも億劫で将来どうしようかなとか
考えていた学生時代だったわけで。
いまだにモヤっとするところではあるんだけど、
そんな時に立ち返る言葉がこれ。
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「辛口な評論は書くのも読むのも楽しいし、商売になる。
だが、評論家には苦々しい真実がつきまとう。
たとえば評論家にこき下ろされ、
三流品と呼ばれたとしても料理自体のほうが
評論より意味があるのだ。」
(イーゴ『レミーのおいしい』)
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いわゆるファイン・アートではなくて料理だから、
余計にこのセリフがしっくりくる。
だからといって辛辣な評論が一概に悪いわけではなくて、
手を動かして作品を作る人と、
その作品について文章を書く人が
お互いに成長しあえる関係になって、
その過程で多くの人にその作品や作者のことを
知ってもらって応援してもらえたらいいなと
思った次第です。
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