すこし前に雑誌でセンズの傘を見てから、
ビニール傘がかっこわるく思えてきて、
センズを買おうと思っていたら、この展開。
SENZ Umbrellas × minä perhonen
いいっすねー
20091122
20091121
TRADING MUSEUM COMME des GARCONS
20091115
個人的には
20091114
「弱い」でもなく、「強い」でもなく。
「弱い」でもなく、「強い」でもなく。
もっとほかの言葉で言い表せたなら。
永井均さんの『道徳は復讐である』を読みながら、
そんなことを思いました。
ひさしぶりの徹夜明けの帰りに電車で読んでいたから、
眠たかったはずなんだけど、「いい文章だな」と思ったので、
ぜひ記録にも残しておければと。
----------
道徳にすがって生きざるをえない局面で発揮されるキリスト教的パワーというものを、現代的な場面で設定するなら、いじめられっ子の道徳的行動を想定するのが一番だと思います。いじめられっ子が勝てるゲームは道徳ゲーム、それもさっき言った意味で(※1)内面化され、神秘化された道徳という価値のゲームです。
彼あるいは彼女は、クラスの誰にも気づかれない状況で、いじめの首謀者やクラス全員のために献身的に尽くすとか、何かそういうことをするわけです。つまり自分が勝てるゲームを捏造して、その中で敵に復讐する。このやり方も空想の中だけでなく現実に勝利をおさめるケースがないとはいえない。
つまり、キリスト教的ルサンチマンは、反感や憎悪をそのまま愛と同情にひっくり返すことによって復讐を行なう独特の装置なのです。この装置を使うと、憎むべき敵はそのまま「可哀そうな」人に転化します。だから、彼らの「愛」の本質は、実は「軽蔑」なのです。
「敵を愛する」という言葉はそもそも矛盾表現ですね。「敵とは戦うべきだ」と考えないなら、なぜもっとすっきり「敵などというものは存在しない」とは言えないのか。それは、この表現が二つの価値の間を媒介することによる復讐を表現しているからではないでしょうか?
「ルカ伝」に「あなたがたを憎む者に親切を尽くし、誹謗する者に対して神の祝福を求め、後悔する者のために祈れ。あなたの頬を打つ者にはもう一方の頬も差し出し、上着を奪う者には下着をも拒むな」という言葉がありますね。問題は、なぜもう一方の頬も差し出さずにはいられなくなってしまうのか、なぜ親切を尽くしたり、神の祝福を求めたり、祈ったりせざるをえなくなってしまうのか、というところにあります。
反撃する力がないなら、なぜせめて自分を憎む者や誹謗する者に対して何もしない程度には強くなれないのか。人間はそんなこともできないほど弱いのだ。
—僕はこの箇所からそういうメッセージを読み取ります。つまり僕は、キリスト教徒のようにこの倫理を称揚するつもりはもちろんないですけど、ニーチェのように非難するつもりもありません。むしろここに、人間の弱さと道徳の悲しさを読むべきだと思うのです。
永井均『道徳は復讐である ニーチェのルサンチマンの哲学』p25-27
※1
「さっき言った意味で」というのは、引用した文章の少し前に書かれている、以下の文章のことだと思われる。
奴隷道徳にすがって生きざるをえないという局面がどんな人の人生にも起こりえることであり、そのとき人は道徳を、単にそれが道徳であるという理由で尊敬せざるをえなくなる。
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ちょっと長かったけど、いつか時間が経ってこの本が手元からなくなっても、この文章は覚えておきたいと思って、引用しました。
この箇所を読んでいて、ふと思い出したのは、
前のエントリーで紹介した読売新聞の車内広告の一文。
-------
心ない者たちのうちにも
自分と同じ美しさを探しつつ、
君はひとり、
大人になればいい。
-------
最初この広告を読んだとき、「『君はひとり、大人になればいい。 』って言われても、実際いじめられている子どもはそんな風に思えないのでは」と感じました。
でも、永井均さんの本を読み進めていくうちに、『君はひとり、大人になればいい。 』という姿勢は、永井さんの言うところの「人間の弱さと道徳の悲しさ」を程よく受け止めた考え方なのではないかなと思えてきました。
自分の子どもには、たぶん「やられたらやりかえしてこい!」とか言う気がするんだけど、心のなかでは、『君はひとり、大人になればいい。 』と思うんだろうな、と。
「弱い」でもなく、「強い」でもなく。
この感覚を何に例えよう。
というわけで、『君はひとり、大人になればいい。 』の広告が読売新聞の売上にどれだけ貢献するのかは分かりませんが、こんなことを考えるいいキッカケになってくれました。
このブログは、“connecting dots”という名前に込めた通り、ちいさな点を結びつけることで浮かび上がる何かを発見ができたらいいなと、勝手に思っています。
最後まで読んでくれてありがと。
道徳は復讐である―ニーチェのルサンチマンの哲学 (河出文庫)
君はひとり、大人になればいい
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ひとの心を傷つけて喜ぶ
心さびしき者に
聞く耳はなかろうから、
中傷された君に言う。
蠅たちの集まりでは、
蝶も「キモイ」と
陰口をたたかれるだろう。
心ない者たちのうちにも
自分と同じ美しさを探しつつ、
君はひとり、
大人になればいい。
------------------------
今更ですが、
読売新聞の電車内広告。
誰もいない小学校の教室で、
一人ぽつんと座って窓を眺める男の子の背中。
そんな写真の上にこの文章がのっている。
※ここに載せている写真は、別の写真です。念のため。
文章としてはキレイだけど、
たぶん実際に自分がこの男の子の立場だったら、
きっとそんな風には思えない。
この内容って子どもより大人の世界のほうが、
しっくりくる気がします。
20091112
20091111
なおさら
20091110
言葉の幹
松浦弥太郎が紹介している、写真家ロバート・フランクの言葉。
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まず、誰もが持っている、不思議なものや神秘的なものを見つける感覚、そして、それを感動する心を失わないように、自分を保つこと。次に、常に自分が何を見て、何を聴いて、何を考えて、何に感じ、何を語っていないのか。それを自分の写真のテーマにすればいい。で、それを静かに見つめながら前に進めばいい。
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とくに、「何を語っていないのか」の部分。
たしか吉本隆明は、「言葉の幹と根は、 沈黙である。」と言っていて、そうだとしたら、声に出たり文字に書ける言葉は、木の葉。
その「沈黙」の部分をどう表現するか(またはしないのか)は、人それぞれ。言葉が、どんな幹についているのかを見つめることは、とても大切なことのように思える。
20091109
20091108
その気持ちが。
20091107
20091106
20091105
20091103
松浦マーケティング
最近、松浦弥太郎の本ばっか読んでたなーと思ったら、
こんな特集。
BRUTUS (ブルータス) 2009年 11/15号
「真似のできない仕事術」
特集の先頭が、松浦弥太郎(笑)
これは誰かのマーケティングにはまってるとしか考えられない。
やっぱ、「マーケティング≒ドラえもん」説は正しいのかな。
あ、特集の内容自体はおもしろかったです。
安藤忠雄事務所は、メール禁止だそうですよ。
こんな特集。
BRUTUS (ブルータス) 2009年 11/15号
「真似のできない仕事術」
特集の先頭が、松浦弥太郎(笑)
これは誰かのマーケティングにはまってるとしか考えられない。
やっぱ、「マーケティング≒ドラえもん」説は正しいのかな。
あ、特集の内容自体はおもしろかったです。
安藤忠雄事務所は、メール禁止だそうですよ。
20091101
「好き」の作法
すがすがしい。
文章を読んでいて、そう感じることがある。
「この人には、世界はどう見えているんだろう」と想いにふけってしまいたくなるような、
すきっとおった文章。
この前紹介した、松浦弥太郎『最低で最高の本屋』は、
そんな本だった。
それから勢いで、この著者の随筆集『くちぶえサンドイッチ』を
読んでみた。
感想から言うと、
ちょっと青臭すぎた。
けれど、最後に寄せてある、角田光代の解説が良かった。
角田光代は、「世界がどんなに光に満ちた場所かを」と題する解説で、松浦弥太郎の姿勢を「すがすがしい肯定」と評している。
-----------------------------
この『くちぶえのサンドイッチ』が初夏の風のように心地よく、かつ美しい瞬間がちりばめられているのは、作者が自分の「好き」を知り抜いているからだと思う。単に、なんとなくいいと思うもの、なんとなく気持ちのいいもの、ではなく、はっきりと「好き」なものしか見ない、触れない、という、強靭な意志がここにはある。「好き」を知るには、途方もない時間がかかる場合もあるだろうし、また「好き」と決めたばっかりに背負いこむ苦労や困難も、きっとあるのだろう。でもこの作者は、そんなことは書かない。「好き」ということがどのくらいたいへんなことなのか、そのうしろにはどれほどの「嫌い」があるのか、書かない。そんなものは作者にとってきっととるに足らないからだ。「好き」の強烈さに比べたら、まったくちっちゃなことがらだからだ。
多くの人は、何かをいいと言うときに、べつのものの悪いところを言う。この赤い色がいいと説明するときに、こっちの赤だと派手だし、こっちの赤だとくすんで見える、だから私はこの赤がいいのだと説明する。好き、を説明するのは、嫌い、を説明するより難しいからだ。好きなもののことを話しているようでいて、気がつけば嫌いなものについて話していることが、私たちには往々にしてある。でも、作者はそうはしない。この本にあるのは、「嫌い」をまったく付随しない純粋な「好き」だ。だから、この本のなかに否定形はまったくないといっていい。あるのはすがすがしい肯定。それはつまるところ、世界への肯定である。
本書 p.327-328
--------------------
この文章読んでて思い出したのは、
箭内道彦が言っていた話。
「恋人どうしで、「私のどこが好きー?」とか聞くじゃないですか?ぼくあの質問こまっちゃうんですよ。だって、例えば、「やさしいところが好き」って答えたら、「じゃあ、やさしくなかったら好きじゃないの?」ってなるじゃないですか。好きは好きでいいんですよ」
箭内道彦の文章だったり話も、すがすがしくて好きなんだけど、
なんとなく2人には、共通する感覚がある気がする。
「好き」の作法というか。
ちょと青臭くて照れくさい内容だけど、
好きなことに対する素直な気持ちを思い出させてくれる本でした。
(ちなみにぼくの場合、読みながら大学1、2年のころを思い出しました)
寝る前、頭のなかに幸せをつめこみたいときにどうぞ。
文章を読んでいて、そう感じることがある。
「この人には、世界はどう見えているんだろう」と想いにふけってしまいたくなるような、
すきっとおった文章。
この前紹介した、松浦弥太郎『最低で最高の本屋』は、
そんな本だった。
それから勢いで、この著者の随筆集『くちぶえサンドイッチ』を
読んでみた。
感想から言うと、
ちょっと青臭すぎた。
けれど、最後に寄せてある、角田光代の解説が良かった。
角田光代は、「世界がどんなに光に満ちた場所かを」と題する解説で、松浦弥太郎の姿勢を「すがすがしい肯定」と評している。
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この『くちぶえのサンドイッチ』が初夏の風のように心地よく、かつ美しい瞬間がちりばめられているのは、作者が自分の「好き」を知り抜いているからだと思う。単に、なんとなくいいと思うもの、なんとなく気持ちのいいもの、ではなく、はっきりと「好き」なものしか見ない、触れない、という、強靭な意志がここにはある。「好き」を知るには、途方もない時間がかかる場合もあるだろうし、また「好き」と決めたばっかりに背負いこむ苦労や困難も、きっとあるのだろう。でもこの作者は、そんなことは書かない。「好き」ということがどのくらいたいへんなことなのか、そのうしろにはどれほどの「嫌い」があるのか、書かない。そんなものは作者にとってきっととるに足らないからだ。「好き」の強烈さに比べたら、まったくちっちゃなことがらだからだ。
多くの人は、何かをいいと言うときに、べつのものの悪いところを言う。この赤い色がいいと説明するときに、こっちの赤だと派手だし、こっちの赤だとくすんで見える、だから私はこの赤がいいのだと説明する。好き、を説明するのは、嫌い、を説明するより難しいからだ。好きなもののことを話しているようでいて、気がつけば嫌いなものについて話していることが、私たちには往々にしてある。でも、作者はそうはしない。この本にあるのは、「嫌い」をまったく付随しない純粋な「好き」だ。だから、この本のなかに否定形はまったくないといっていい。あるのはすがすがしい肯定。それはつまるところ、世界への肯定である。
本書 p.327-328
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この文章読んでて思い出したのは、
箭内道彦が言っていた話。
「恋人どうしで、「私のどこが好きー?」とか聞くじゃないですか?ぼくあの質問こまっちゃうんですよ。だって、例えば、「やさしいところが好き」って答えたら、「じゃあ、やさしくなかったら好きじゃないの?」ってなるじゃないですか。好きは好きでいいんですよ」
箭内道彦の文章だったり話も、すがすがしくて好きなんだけど、
なんとなく2人には、共通する感覚がある気がする。
「好き」の作法というか。
ちょと青臭くて照れくさい内容だけど、
好きなことに対する素直な気持ちを思い出させてくれる本でした。
(ちなみにぼくの場合、読みながら大学1、2年のころを思い出しました)
寝る前、頭のなかに幸せをつめこみたいときにどうぞ。
CMの威力
カゼひいた。
医者に行く時間がなかったから、
薬でも買おうと思って、薬局へ。
薬の棚の前で、
「ちょっとのど痛いなー」
「ちょっと鼻ぐずるなー」
と思いながら選んでたら、
「熱喉鼻にルルが効く〜♪」
が頭に浮かんだので、ルルに決定。
こんなノリで薬選んじゃいけない気もするんだけど、
CMの威力を実感したのでした。
医者に行く時間がなかったから、
薬でも買おうと思って、薬局へ。
薬の棚の前で、
「ちょっとのど痛いなー」
「ちょっと鼻ぐずるなー」
と思いながら選んでたら、
「熱喉鼻にルルが効く〜♪」
が頭に浮かんだので、ルルに決定。
こんなノリで薬選んじゃいけない気もするんだけど、
CMの威力を実感したのでした。
松浦弥太郎『最低で最高の本屋』
大学生のときの、
あの「青臭い」気持ちを思い出す。
松浦弥太郎
『最低で最高の本屋』
目をつかって、耳をつかって、鼻をつかって、
自分にとっておもしろい情報を吸い込んでいかないと。
この本読んで、気持ちが5歳ぐらい若返りました。
ありがとうございました。
あの「青臭い」気持ちを思い出す。
松浦弥太郎
『最低で最高の本屋』
目をつかって、耳をつかって、鼻をつかって、
自分にとっておもしろい情報を吸い込んでいかないと。
この本読んで、気持ちが5歳ぐらい若返りました。
ありがとうございました。
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